雑記

のびのび学べる環境を

バイリンガル

こちらに来て下さる生徒さんは、英語の方が話しやすくても、みんな、私たちには日本語で話してくれます。

 

私たちに伝えたいことがあって、日本語でどう伝えていいかわからないときも、一生懸命知っている日本語の単語をならべてみたり、兄弟に通訳を頼んだり。もうその心がけを見るだけで、メロメロです。

 

そのときにすごいな、と思うのは、「~したい」「~むずかしい」「~わかる。~わからない」「~楽しい」と、日本語で意思を伝える表現をちゃんと知っているということです。特にそういうふうに勉強的に習ったわけではないのに、身近な方から自然に習得するんですね。

 

日本で英語を習ったときのことを思い出してみると、I want to ~ はなんとか最初の方に習った気もしますが、他はどうでしょう。身に付くまでに結構時間がかかった気がします。

 

バイリンガルの根本はこういうところにきっとあるんだろう、といつもうらやましく思いながら教えています。

子供たちの日本語で私たちに伝えようという気持ちは、本当にいとおしいです。大切にくみ取っていきたいです。

 

可能性

小中学、体育は大の苦手でした。

マラソンは後ろから数番目、50メートル走は10秒台、逆上がりは結局できずじまい。。。

 

ところが高校入学時に、バスケ部の先生から声がかかりました。

「その体格でバスケをしないで何をする」

親はもちろん猛反対。

「そんな運動神経ゼロでバスケなんて無理にきまってるでしょ。断りなさい」

結局、バスケ部の先生の熱意に根負けして、親に怒られながらもバスケ部に入りました。

 

厳しいけど明るくてやさしい先生・先輩に囲まれて、とても楽しく練習し、体力がついてくるのがよくわかりました。

体育の成績もどんどんあがり、マラソン大会でも10位以内。

試合にも出してもらえるようになり、やっと親も認めてくれました。

 

今思うと、高校時代にしっかり体を作れたのは本当によかったです。

過度の期待もなんですが、頭から決めつけるのもなんですね。。。

 

怒るということ

私はかなり怒りっぽいです。

日本で仕事をしていたときは、同僚と喧嘩ばかりしていました。

こちらメルボルンの会社では、英語で業務連絡はできますが、自由な意思表示ができないので、仕方なくおとなしくしています。

 

でも、やっぱり同僚には怒りの感情がどうしても出てしまいます。

きっと、同僚に対しては、こうするべきだ、こうしてもらわないといけない、というのがあるからなんだと思います。

 

子供たちに教えているときはどうか、というと、まったく怒りの感情はわきません。

そういうふうに考えるのか、こういうのは好きじゃないんだ、そんなことまでできるんだ、というふうに、不思議と全部すうっと入ってきます。

10年以上子供たちに教えていますが、実に本当に怒ったと覚えているのは1回だけです。

これには、私もびっくりです。

 

やる気

基本的に、人間は学ぶことが好きなんだそうです。

と、どこかで読みましたが、子供を教えていると、本当にそうなんだな、とつくづく感心します。

 

学ぼうとすることに対して、無理だと判断すると、学ぶことをあきらめてしまうそうです。

これは、防衛本能だ、とどこかで読みました。

 

 やる気がすべてだ、ということは、この十数年ずっと見てきました。

なので、1人1人、やる気を出してチャレンジし続けられる環境を用意することを、常に心掛けています。

でも、やっぱり難しいです。

1人1人、ツボが違うからです。

え、こんなことをおもしろいと思うの、とか、これはできそうだけど難しすぎるのね、とか。

やる気を出してもらえて伸びていくのを見ることができたときは、本当に嬉しいです。

 

規則性をみつける力

 プログラミングは規則のかたまりです。

プログラミングが上手な人というのは、知らない規則でも、その使われ方などから規則の仕組みを読み取って自分のものにすることができます。

 

算数も規則のかたまりです。

算数が得意というのは、この規則性をなんとなく感じ取れることからきている気がします。

この感じ取る力が強い子は、例えば10が10個で100と教えてあげたときに、ああ、じゃあ100が10個で1000だとなります。

 

この感じ取る力が強い子には、その力を活かす・伸ばすように

感じ取る力が弱い子には、規則性がゆっくり反復で身に付くように

それぞれの感性に合わせて教えています。