雑記

のびのび学べる環境を

認める

子供がやり終えたワークシートにはたくさん間違いがあります。

間違いと一口に言っても、そうきたか!と思うほどバラエティに富んでいますが。

 

  • 書く場所を間違えた
  • 数字をひっくり返してしまった
  • 写し間違えた
  • やり方がわからなかった
  • 問題を勘違いした

 

なるべく、間違えた理由をみつけて、できたところまでを認めるようにしています。

 

  • 答えはあっているよ。違うところに書いちゃったね。
  • やり方はあっているよ、もう一回、本当にこの答えになるか、やってみてね。
  • やり方がわかりにくいのに、よくチャレンジしてくれたね。
  • こういうふうに考えたんだね。よく考えたね。じゃあ、こういう考え方はどうかな。

 

間違いだらけ~ って悲しそうな顔をする子にも、こういう伝え方をすると、安心するようです。

 

目標を明確に

ある会社でプログラマーをしていますが、とても働きやすいのです。

誰のためにどんなものを作り続けているのかが常に明確になっているからです。

 

目標をしっかり持ち、現状を正確につかむことで、次に何をしなければいけないか、自然と道筋が見えてきます。

 

子供たちに教えるときの目標は、例えば

  • 日本語 - 10年生になったときに、VCE の日本語を無理なく学習できるようにする
  • 数学 - 小学校で分数の四則演算ができるようにする、10年生までに二次方程式を解けるようにする

という感じで、1人1人に対して持っています。

現在のレベルからその目標が遠く見えても、見えてさえいれば、次に何を教えてあげたら目標に近づけるかがわかるのです。

 

バイリンガル

こちらに来て下さる生徒さんは、英語の方が話しやすくても、みんな、私たちには日本語で話してくれます。

 

私たちに伝えたいことがあって、日本語でどう伝えていいかわからないときも、一生懸命知っている日本語の単語をならべてみたり、兄弟に通訳を頼んだり。もうその心がけを見るだけで、メロメロです。

 

そのときにすごいな、と思うのは、「~したい」「~むずかしい」「~わかる。~わからない」「~楽しい」と、日本語で意思を伝える表現をちゃんと知っているということです。特にそういうふうに勉強的に習ったわけではないのに、身近な方から自然に習得するんですね。

 

日本で英語を習ったときのことを思い出してみると、I want to ~ はなんとか最初の方に習った気もしますが、他はどうでしょう。身に付くまでに結構時間がかかった気がします。

 

バイリンガルの根本はこういうところにきっとあるんだろう、といつもうらやましく思いながら教えています。

子供たちの日本語で私たちに伝えようという気持ちは、本当にいとおしいです。大切にくみ取っていきたいです。

 

可能性

小中学、体育は大の苦手でした。

マラソンは後ろから数番目、50メートル走は10秒台、逆上がりは結局できずじまい。。。

 

ところが高校入学時に、バスケ部の先生から声がかかりました。

「その体格でバスケをしないで何をする」

親はもちろん猛反対。

「そんな運動神経ゼロでバスケなんて無理にきまってるでしょ。断りなさい」

結局、バスケ部の先生の熱意に根負けして、親に怒られながらもバスケ部に入りました。

 

厳しいけど明るくてやさしい先生・先輩に囲まれて、とても楽しく練習し、体力がついてくるのがよくわかりました。

体育の成績もどんどんあがり、マラソン大会でも10位以内。

試合にも出してもらえるようになり、やっと親も認めてくれました。

 

今思うと、高校時代にしっかり体を作れたのは本当によかったです。

過度の期待もなんですが、頭から決めつけるのもなんですね。。。

 

怒るということ

私はかなり怒りっぽいです。

日本で仕事をしていたときは、同僚と喧嘩ばかりしていました。

こちらメルボルンの会社では、英語で業務連絡はできますが、自由な意思表示ができないので、仕方なくおとなしくしています。

 

でも、やっぱり同僚には怒りの感情がどうしても出てしまいます。

きっと、同僚に対しては、こうするべきだ、こうしてもらわないといけない、というのがあるからなんだと思います。

 

子供たちに教えているときはどうか、というと、まったく怒りの感情はわきません。

そういうふうに考えるのか、こういうのは好きじゃないんだ、そんなことまでできるんだ、というふうに、不思議と全部すうっと入ってきます。

10年以上子供たちに教えていますが、実に本当に怒ったと覚えているのは1回だけです。

これには、私もびっくりです。